昔の炭焼き事情
私の大好きなガマズミ、
リョウブは食べる以外に
「ガマズミの枝が炭焼きの蓋だった」
「リョウブの枝が炭焼きの蓋だった」
とお年寄りから聞いていましたが
何の事かさっぱりわからず2年たっていました。
(ガマズミ)
(リョウブ)
最近ようやく何の事かが理解出来きました。
〖炭焼きの蓋にした〗というのはこういう事だそうです。
↓↓↓
枝をぐるぐる🌀して蓋にした。
その材料にしたのがガマズミとリョウブだったようです。
祖父は炭焼きもしていました。
その話しがちょっとワイルドすぎて面白いので、
ブログに書きたいと思います。
佐渡島は金山で、
炭を大量に消費するため
男女問わず炭焼きを生業にしていた人が多かったようです。
昭和9年産まれの祖父は、
戦争に行かない年寄りとペアで炭焼きをしていたそうです。
炭を作る為の燃料は主に雑木。
桜、ウリハダカエデ、などを燃料にしていました。
炭にする木はナラの木。
土を掘って釜を作り簡易的な屋根を作って炭焼き小屋にする。
この準備が整ったら火を釜に入れます。
火を入れたら3日間泊まり込みで火の番をしたそうです。
祖父のペアの年寄りは明治以前の人で、
とてもワイルドだったそうです。
尋常じゃないほど酒を飲み
服は着ないで全裸。
来客の際は、
フキの葉を巻き付け大事な所を隠して居たそうです。
昭和産まれの祖父はそこまでワイルドに出来なかったそうです。
基本的に蜂や蚊は刺されても気にならないし、
炭焼き最中は煙で寄って来ないとか。
ダニは、
くわれたら味噌を塗って対応したとか。
味噌は食品であり万能薬だったそうです。
お泊まりの寝具は藁や莚。
恐ろしいマムシは見つけると直ぐに皮を剥ぎ、
動いた状態の青い肝を飲みこむ。
とても苦い為噛んではいけないそうです(--;)
私は思いました…
この肝が蜂やマダニや毒蛇に対応出来る抗体を作ったのではないかと…
「真夜中に山に隠り炭焼きをしていて、
幽霊などの見えない存在は怖くないのか」
と聞いてみました👻
全く怖くないとのことでした。
「一番怖いのは生きた人間だ」
と祖父は言うので、
理由を訪ねました。
昔は知的に問題がある人は表に出さない事が多かったそうです。
夜になると自由に動けるようにしてもらえるらしく、
真夜中に炭焼きを見に来るそうです。
その格好が、
まるで山姥のようだし言葉もあまり通じない為とても怖かったそうです。
今、
私はたった1日でも炭焼きを手伝える気がしません。
ほんの75年前の人は、
こんなにも強かったんだと驚きました。
炭焼きのリアルな事情を聞けて良かったです。
最後まで読んで下さってありがとうございます