佐渡蒼朮
佐渡島は江戸時代に金山で栄えた歴史は有名です。
かつては幕府の天領でした。
よって今の佐渡とは程遠い最先端だったそうです。
医療分野でも薬草の研究が盛んに行われ、
相川地区には幕府の薬草園が有りました。
なんと高麗人参を日本で初めて栽培成功させたのは佐渡島だったそうです😃
その技術を元に本土でも栽培したとか❗️
同じ頃、
中国から蒼朮(ソウジュツ)が持ち込まれ栽培されました。
後に中国の蒼朮より、
佐渡の蒼朮の方が薬効が優れる為
佐渡蒼朮(サドソウジュツ)
と呼ばれ重宝されたそうです😃
江戸時代に中国から佐渡に持って来てから約300年。
佐渡蒼朮は雌株しか持って来なかった為、
ひっそりと株分けしながら受け継がれている。
佐渡蒼朮が花を咲かせていました✨
和名はサドオケラ。
ホソバオケラと言われるほうが一般的。
サドオケラ(ホソバオケラ)
キク科
生薬名 ソウジュツ
かつては一世を風靡した佐渡蒼朮(サドオケラ)は現在は、
空前の灯火。
地元の人でさえ佐渡蒼朮を知っている人は、もうほとんどいません。
もちろん伝承も忘れ去られる寸前です。
でも、
今日は、
サドオケラの魅力に魅せられ佐渡に住むことを選択された東京出身の青年と出会いました。
その熱意と勢いと若さは新鮮でした✨
島民の私は何をやっているんだ⁉️という気にさせてくれました。
私は栽培に全く興味が無くて、
どちらかと言えば苦手。
野草の話しをお年寄りに聞き込んだ時に、
「佐渡オケラをどうにか残してほしい」
と言われた事も有りました。
けれども、
頂いた株を枯らしてしまった事があり、
やっぱ荷が重い。誰かがやってくれるだろう、、、
と思っておりました。
ですが、、、
それから数年経ち受け継がれた話しは聞いておりません。
野草仲間とやれるだけやってみよう。
守って行きたいね‼️
という新たな目標が湧いてきました。
実は、
サドオケラ(ホソバオケラ)はネットで簡単に購入する事ができます。
でも本家本元の江戸時代から続くサドオケラを表だって栽培する人が居なくなったと言うと、
切ないです。
受け継いでいる人達は全員80代と高齢です。
青年がこのタイミングで佐渡に移住してくれて、不思議な奇跡を感じました。
お年寄りのお話しを聞き込むと、
面白い事が分かりました。
「誰も薬草として使う人は居なかった。
村の役場で買い取ってくれるから、
畑のヘリや田んぼの畔に植えて、
出荷していた。
それも戦前のころだ」
と言うのです。
「野生していると書いてあるけど、
野生逸出はしない。
野生化しているように見えるけど、
それは耕作放棄された田んぼや畑にかつて育てていたオケラが残っているだけ。
株分けして手入れしないといずれ弱り絶える」
と言っていました。
ヨモギと焚くとあらゆるウイルスを殺すとの伝承も有りますが、
庶民は全く使い方を知らなかった。
本当は何か凄い薬効が有るのかも知れないですね。庶民には知らされないとても大切な薬効が有るのかも!?
佐渡オケラ
「佐渡薬草風土記:伊藤邦男」
(1993)引用
↓ホソバオケラの伝来は、
八代将軍吉宗の享保年間。
殖産興業の一環としてサツマイモの普及、
タバコ栽培の自由化、
野生薬用植物の調査開発の時代。オタネニンジンの栽培研究が佐渡奉公所で成功した頃である。
中国から渡来したホソバオケラの苗が直ちに佐渡にも分与された。『新潟県の薬用植物』(1974)には
「享保年間以後、
羽茂本郷おいて地頭本間式部大夫の居城羽茂城跡に中国産ホソバオケラを栽培し、
次第に近隣各村に普及し、
ひと頃は佐渡蒼朮として遠く江戸や浪花の漢薬市場に名をなした」と述べられる。
羽茂町飯岡の羽柴さん(昭和3年うまれ)は、
「太平洋戦争中、
薬用として国から要請され、
山中に野生化になっているホソバオケラの根茎が多量に掘り出され供出された。
少年の私もこれを掘った経験がある。
ホソバオケラを薬として服用した経験はない。
当時、根をからからにし乾燥したものを火鉢にのせて毎晩のように蚊やりに使った。
蚊がよくとれた。
この煙はけっして不快な香りではなく、
甘味を含んだ芳香だった。
戦争中の堀のこしが南佐渡山中にわずかに残っている。「サドオケラ」
とされる希少貴重な薬草。
愛護、
繁殖させていくには、
存在の特異性を人々に知ってもらうこと。
羽茂町では「町の花」にこれを選定した」と。
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